| レールーエーライターが戸崎市LRTを旅する Part1 | ||||
2007年10月28日更新
戸崎県戸崎市に今年の5月LRTが開業した.最近,日本においてもLRTが走り始めたが,富山市は以前のJR富山港線だった部分を使用し,岡山市や長崎市などは既存の市内電車の路線を使用している.
ここ戸崎市はまったくの新設路線で,LRTが開業したことにより,街がどのように変化したか考察してみたい.
一変していた戸崎駅前
2005年7月10日,東京からの〈サンライズ〉で戸崎駅に着いた.今年の5月に戸崎市にLRTが開業したので,新線開業となると落ち着かない.全国の鉄道路線に乗った僕としては,未乗区間を残したままにしておくのは気持ちが悪く,お盆までには完乗タイトルを奪還し,きれいな身体にしておきたい.
今回は〈鉄道ジャーナリスト〉誌10月号の取材に行く途中,戸崎に寄ることにした.LRTは駅前から戸崎空港を結んでいるので,ANAの早割を押さえジェットで来ても良かったが,せっかくだからLRTには駅前から乗ってみたい.
それで〈サンライズ〉で来たわけだが,今回は個室A寝台シングルデラックスをおごった.これは先月,妻 吉子の実家,鳥取の湯良し味良しの〈旅館釣銭屋〉に行った際,僕の読者であると言ってくれた鳥取駅の緑の窓口氏が,頑張って寝台券をおさえてくれたものだ.
本日10日は鉄道ジャーナリスト誌の原稿の〆切で,万が一を考えて個室寝台にしたが,案の定原稿が遅れてシングルデラックスのデスクで書き上げることになった.揺れる環境の中での執筆は苦労したが,キヨスクで買ってきたカップ酒のふたを開け,気付けとしてみた.ほんのり明るくなる3時半頃原稿を無事書き上げなにより.
車内では徹夜に近かったが,寝過ごすことなく無事に戸崎駅に降りることができた,桑原桑原.
ホームから改札口に向かう途中,ケータイがピピッと震えた.出ると長年の読者であるトースケ(富樫大輔 戸崎市保健所勤務)からだった.戸崎市に来るならば是非と戸崎市案内人を買ってでくれた.
改札を出たところで無事,案内人とも合流に成功し,まずはめでたし.
「先生,LRTに乗る前に新しい美術館ができたのですが,寄ってみませんか.」との誘いがあった. 僕は美術には特別の関心はないが,新しい名所が出来たなら興味はある.なんと言っても僕はかつて旅行ガイドブック「スルーガイド 四国編」(実業家出版刊 絶版)を執筆したことがあるからだ.
その前に夜行列車で着いたからには駅の中の喫茶店で,まずはモーニングコーヒー.その間,トースケに書き上がった原稿を,駅ナカのコンビニから鉄道ジャーナリスト社にFAXしてもらう,
ご苦労様.

コインロッカーにザックを放り込んで身軽になって駅を出た.
駅の2階からバスターミナルを越え,大通りの反対側まで伸びるペデストリアンデッキが完成していた.駅前はLRTが開業する5年前に大規模な再開発が始まり,以前とは駅前広場が一変していた.
僕が書いたミステリー〈CR最初の事件〉(トクダノベルズ・徳田文庫)で戸崎駅を舞台にしたが,僕が最後に戸崎市を訪れたのは,4年前に僕のライフワークである「日本列島ぶらり外周の旅」で戸崎海岸周辺を訪れた時であった.その当時は工事もたけなわであり,土埃が舞っていた印象が残っている.
また〈鉄道ジャーナリスト〉に連載していた〈鉄道レビュー〉に調理改善の苦言を呈した,世にもまずいざるそばを出した蕎麦屋も,区画整理によってなくなっていた.
ペデストリアンデッキの上は公園のようにベンチやオブジェがならび,暑い日差しの中,老若男女がベンチに腰掛けて憩っている.
警察官が立っていて,ちらりとこちらを見る.何となく不気味だ.トースケによると,置かれているオブジェに問題があるらしい.
なるほど,何とも奇妙なオブジェだ.人の形を模した物(orzと_l ̄|O)が両手と膝を地面に付けて,がっかりとうなだれているようなポーズだ.
題すれば〈がっかり〉と〈絶望〉とすべきか.見ていて精神的に愉快になるものではない.
これを見て落ち込む人が多いらしい.落ち込んで完成したばかりのペデストリアンデッキから道路に飛び込みでもされたら,かなわないから警官を配置しているらしい.
それはおかしい,変なオブジェを置いて計算違いだったら,さっさと撤去するのが筋だろう.戸崎市の幹部には苦言を呈しておきたい.
しかし,このオブジェはデッキの上に6体置かれているが,三々五々人々がベンチ代わりに腰掛けたり,子供が平均台のように歩いたり,あげくのはてに制服の女子高生がオブジェの頭を足蹴にしたりして,住民には意外と親しまれていると言えばよいのであろうか.このまま何事も起こらぬことを祈るや切.
オブジェを眺めていると,「〈旅と列車〉の読者です.LRTが開業したから,そろそろお見えになる頃かと,思っていました.」と会社員風の男性読者から声をかけられた.LRTが開業したことにより,この先も読者から声をかけられそうだ.
美術館は,ペデストリアンデッキから降りたらすぐだった.やはりこういう集客施設と郵便局は駅前がいい.
美術館の向こうにはなにやら大きな建物が建っている.戸崎県庁の34階建ての建物だ.水戸市や前橋市など,地方都市になると県庁が一番大きく,立派な建物だ.しかし東京都庁のように,役人に見下されているような感じがして面白くない.そういえば青春時代を過ごした大津市でも,一番大きくて立派な建物は,滋賀県庁だった.
保健所勤務の案内人に,「こんな立派な建物で働けていいね」とちょっぴり皮肉を込めて言ったら,「僕は保健所勤務でも,県の職員ではありません.戸崎市は中核都市なので本来ならば県の仕事である保健所業務も,市に移管されています.私は市の職員です,市役所はこんなに立派ではありません.」と憮然とされた.申し訳なし.
駅前の美術館
美術館の前に新しいホテルが開業していた.15階建ての〈バーク・ホテル〉だ.立派なホテルだが,何やらパトカーや警察官の姿が目立ち、ぞっとしない.
これはどうしたものかと,案内人に聞けば,日本・アメリカ・イスラエルの通商会議が開かれているそうだ.そういえば3ヵ国の国旗がホテルの前に掲げてある.おやおや何もテロを起こされるような国が,こんなところで会議を開かなくてもいいと思う.迷惑な話だ.
美術館は〈戸崎21世紀美術館〉といい,昨年オープンしたばかりだ.建物の前には岡本太一作の〈太陽の塔〉が置かれている.
”バンパク”(万博)―日本万国博覧会EXPO'70(テーマは「人類の進歩と調和」が大阪千里丘陵で開かれた.77ヵ国が参加,9月13日の閉会式までに入場者は約6,422万人を数えた―のシンボルとなり,現在でも大阪千里の〈万博記念公園〉に残る〈太陽の塔〉だが,これは間近で見ると大きく感じるが,これは本物の8分の1の大きさだそうだ.
大阪万博が開かれた1970年といえば僕は,名古屋の毎朝新聞中部本社報道部から,東京本社社会部勤務に移動となり,妻吉子と,まもなく3歳になる長女さくら(まだ次女つばめは生まれていない)を連れて東京に移った年だ.ここでは国鉄本社担当で,自由に取材が出来る優雅な身分だったのを思い出す.
大阪万博のあと,何回か他の万博に行ったが,僕が良かったと思うのは,この大阪万博と,1986年に僕がカナダ政府から招待されて行ったバンクーバー交通万博くらいだ.
入館料600円のところを,シルバー割引で400円で入館となり,なにより.この美術館が力を入れている理解不能な岡本太一の芸術はともかく,企画展のアメリカの雑誌”Time”の表紙を長年描いていたノーマン・ロックエルのポスター展が開かれており,これは判りやすく楽しめた.
美術館の2階は展望レストランになっているが,案内人によれば,ちょっぴり高級なイタリアンレストランになっているとのこと.
「ここで食べるより,県庁の展望台に登ってから,戸崎名物のやきそばを食べてみませんか?」との案内人の誘い.そこに行ってみることにした.
つづく・・・・・
※戸崎市は架空の都市で,このルポはフィクションでありパロディです.
実在の団体,人物,また事実とは一切関係がないのは言うまでもない(^_^)/
苦言を呈されないことを、祈るや切.
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